EYEVAN

 


 

EYEVAN × KYOTO
interview 16

「変えないために、変えていく」
河道屋 17 代目 植田康弘さん(創業 江戸中期/ 京都市中京区)
蕎麦粉が入った老若男女に愛されるお菓子「蕎麦ほうる」。モチーフは梅の花と蕾だ。江戸時代の創業当時から、同じ原材料で、「蕎麦ほうる」一筋。変わらない味をつくり続けている。そんな河道屋があたらしい挑戦を始めようとしています。河道屋17 代目の植田さんにお話をお伺いしました。
蕎麦ほうるについて
餅菓子屋をしながら、蕎麦を出していた
創業は江戸中期になります。その頃の河道屋は餅菓子やさんをやりながら、お蕎麦を出していたようです。蕎麦は昼食というより、おやつ感覚で食べていたようですね。原材料は、蕎麦粉と小麦粉と卵と砂糖、膨らます重曹が入っていて、昔から同じです。お菓子を作っているところに、蕎麦粉があったから入れてみようという発想だったはずです。
「蕎麦ほうる」は、もともとはポルトガルやオランダから入ってきた製法をもとに作っているので、カステラとか金平糖に近い。和菓子というより、南蛮菓子。ビスケットを応用して、蕎麦粉を入れてみようというのが始まりなんです。その名残が名前にあって、「ほうる」は、丸い焼き菓子の意を持つオランダ語のPole、ポルトガル語のBole の語感に由来しているそうです。

継承について
いま、自分のやるべきことをやる
僕はずっとここで育ってきました。特別継ぎたいということもなかったんですけれども、先代たちが守っていたものを続けていきたいと思ったのは事実ですね。大学を卒業して1 年だけ、違うところに行かしてもらって、戻ってきて10 年ぐらいは製造の方にいました。自分で現場を見た方がいいと思いました。とりあえず今、自分がやらなきゃいけないことは何だろうかと考えてやってきました。
僕はまだ後世に伝えるって感覚ではないですね。私の父は、「京都の人に愛されているから、その恩返しのつもりでやっている」と言っていました。
譲れないこと
固定概念にとらわれすぎない
「蕎麦ほうるは、この形」っていうのがあまり好きじゃないんです。蕎麦ほうるは「花」と「つぼみ」が入っていますが、「花」は中まで火が通るように真ん中をくり抜いてあるんです。くり抜いた丸が「つぼみ」です。代々、そういう理由でこの形で作ったのはわかるんですけど、京都には四季折々、いろんなものがあるので、他の形やお客様への提案も試したいなと思っています。

伝統とは
伝統が残っているのかは、わからない
伝統を守るというより、伝統をどう残していこうか、とは考えます。蕎麦ほうるは、形ではなくて味なので、伝統が残っているのか、正直わからない。人の味覚も変わりますよね。原材料の小麦、砂糖や卵も全く同じものではないから、そう考えると全部変わっているはずです。だから本当に今の蕎麦ほうるが昔と一緒なのかは、私は分かりません。300 年前からずっと同じかというと、自信はないです。だから、年配のお客さん、昔から買ってくれているお客さんが「味変わらないね」と言ってくれることを目指し ています。