EYEVAN

 


 

EYEVAN × KYOTO
interview 12

「うちが金1g と言ったら、1g でないといけない」
堀金箔粉 取締役総務部長 堀裕子さん(創業1711 年/ 京都市中京区)
日本の眼鏡は世界中から最も質が高いと言われている。日本の金箔も同じく、世界から質が高いと言われている。その理由は、何か。妥協がない日本人によって、脈々と引き継がれている技術、職人技に違いない。箔打ち職人であった初代から300 年余り続く、金箔の老舗、堀金箔粉の堀さんにお話をお伺いしました。
金箔について
金箔は“煙” と同じ厚さ
金箔というのは、金に銅と銀を合金して、叩いて薄く伸ばしたものです。厚さは10,000 分の1 ㎜。煙と同じだと言われています。職人の技術によって小豆1粒大の地金が、畳1 畳分まで伸ばしてできる金箔。世界から薄くする技術が日本が最も長けていると言われています。もともと日本は資源が少なかったから、貴重な金を薄く伸ばしたんじゃないかと私は思っているんですが、どうでしょうか。
極上の金箔づくりに欠かせないものは、実は「箔打ち紙」。金を叩いて薄く伸ばす際に、間に挟み込む紙のことです。ジンチョウゲ科の植物の繊維を何度も叩いて切って柔らかくして雁皮紙を作り、その紙をまた、灰汁や卵白、柿渋などの灰汁に浸し、繰り返し叩いて、乾かすことを何度も繰り返して1 か月くらいかけて作られます。箔打ち紙が打てて、初めて箔打職人と言われるほど、紙が金箔の良し悪しを左右します。うちではこの紙に純金泥を測って包んで、職人さんとやりとりするんですが、永遠に捨てないんじゃないかというくらい、破れない。ちなみに箔打ち紙には裏表や紙の目があって、職人さんが目印のために「内祝い」「お中元」という判子を押したり、たまにお花とか描いてあったり、素敵でしょ。

堀金箔について
売るものがないときは、鯖を売っていた
創業300 年。当時、京都は金箔の一大消費地でした。神社仏閣や美術品、染め織物、漆、陶など、伝統工芸品に金箔は使われ、金箔製造はわりとメジャーな仕事だったんだと思います。でも実は売るものがない時は、金箔と同じ光り物、鯖を売っていたようです。金物屋、荒物屋みたいなのもやってた時期もあって、戦時中は、船のエンジンになるアルミを売ったり、とにかく代々、商売が好きやったんかなと思います。時代背景もあると思うんですけど、意外と自由ではちゃめちゃ。金箔一筋の精神を保ちつつも、この柔軟さ、この適当さが大事で、これまで堀金が続けてこれた秘訣なのかなぁって最近思います。それでも私たちは金をたくさん見てきましたから、金の光り方、色味を見る力は長けている自負があります。今は金色の塗料開発や食用の金箔の開発・製造も主要な仕事の一つ。あたらしい金箔の可能性を探っているところです。
継承について
職住一緒が種になる
みんな基本的に子どもにはやらせたくないと思っているんです。寝ても覚めても商売やし、茨の道でしかないことは自分が死ぬほどわかってるから。そうは言ってもっていうのがあって、継承してるらしいです。継承がスムーズにいく秘訣の一つは「職住が一緒」と言われています。うちも職住一緒。娘と息子はまず「ただいま」とこの職場に帰ってきて、社員に「アイス食べていい?」とか聞いて宅の方に帰っていきます。この関係性があるから、会社が好きみたいなところがある。これがいつか、種となって、親が倒れたりしたときに、「やるのは自分やな」って思うのかなって思います。
伝統とは
誰かが諦めたら終わる
伝統的な製法も絶やしたら終わり。地域で言うと、お風呂屋さんとかもなくなっていってる。なくなったらスーパー銭湯はできても、あの空気感はニ度とない。金箔は誰もが使うものではないけど、やっぱり使ってる人にとっては大切で、途切れさしたら終わってしまう。誰かが諦めたり、自分のものって囲ってしまったら、終わってしまう。金箔づくりでは、使う道具で箔断ち包丁っていうものがあるんですけど、それ自体を作る人がもういない。いろいろなものが全部に繋がっているから、一つ道具が無くなるとすべてなくなる怖さがあります。代用して進化してやっていく方法もあるし、それでもいいものと駄目なものがきっとありますよ。
譲れないこと
美味しい桃の木の下には、自然に道ができる
社訓はいくつかあるんですが、その一つに「李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」があります。簡単に言うと、美味しい桃の木の下には自然に道ができるという意味です。⦆黙って真面目にやったらいいよっていうことかな。金箔を売る堀金で代々言われていることが、「うちが1g といったら1g。それが金と言えば金でないといけない」と。当たり前のセリフなんですけど、嘘は言わない。ずっと信頼を大切にしてきました。